下野國一社八幡宮は、源姓足利氏誕生の地として知られています。
「下野國一社」ですから、栃木県で最も大きく由緒ある八幡宮です。
八幡宮といえば、勝負の神様ですので、必勝祈願、合格祈願のご利益があります。
御由緒については一番下に記載しています。
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先日、香雲堂本店が経営している「Petit Fontaine(プティ・フォンティーヌ)」というケーキ屋さんを探している時、
なぜかグルグル回って見つからなかったのですが、
その時に何度も通ったのが「下野國一社八幡宮」です。
昔、小学校の頃、ここの裏山の八幡公園で何回か遊んだことがあるのですが、
こんなに立派な神社だったけ~
ちょっと見てみたいな~と神様に呼ばれたような気がして、
翌日お邪魔することにしました♪
この八幡様といえば、
萌えキャラのひめたまや、オカルトパワースポット等、
一部の方の間では、門田稲荷神社の方が有名かもしれません。
(→門田稲荷の記事はこちら)
※2022年は屋台の焼きそば「とみや」が引っ越してきたので、そちらの方が賑やかかも。
入口 結構立派な構えですね。
鳥居 銅製 寛政4年(1793) 市重要文化財
鳥居をくぐるとすぐに巨木「クロマツ」
樹齢推定600年 現在市内で一番大きい松だそうです。
手水舎
今回は龍の口はありませんね。屋根も彫刻がなくシンプルです。
源姓足利氏発祥之地
八幡太郎義家の子、源義国は京都で生まれ育ったが、ある落馬事件を機に足利の私領に引きこもってしまい、この私領の土地がここだと言われているそうです。そこから子孫が足利氏となっていったとか。
「旧跡大将陣」
山辺地域には、八幡太郎こと源義家にまつわる伝承が多く残っている。
大将陣という地名については、八幡町の下野國一社八幡宮の御由緒を切っても切り離すことが出来ないのである。
社伝によると天喜4年(1056)、源義家は東北地方の安倍頼時・貞任父子が叛いたので、それを討つため下向の途次当社付近に野営したが、この野営したところが此の大将陣と伝えられている。
頼家はその折、戦に勝利を期して源氏の氏神である八幡神を、山城国の石清水八幡宮から勧請し祈願した。それが現在の八幡町の下野國一社八幡宮の起りである。
このように神社あっての地名が説明できるが、こうした一千年も昔のことが現在まで伝えられたように、今後も永遠に郷土に継承されることを信じ、この一碑を建立した次第である。
→力が入った石碑だと思ったら、県議会議員の方の奉献のようです^^
神社はエネルギーが強い土地に建てる場合もあれば、
歴史的な史跡や人物を祀るために建てる場合もあって、
こういうのは面白いですね。
ちなみに、この八幡宮の裏には小さな山があり、古墳群になっているそうです。
そういえば、古墳みたいな山でドロジンとかやっていたような記憶が。。。
参道を進みます
狛犬さん
石の鳥居
こちらは古そうな狛犬。天保3年(1832年)と書かれているようです。
社殿
極彩色の龍
まだ色が鮮やかだと思ったら、
平成8年(1996)から9年にかけて保存修理されたそうです。
拝殿の奥
裏に回って本殿
八幡太郎義家に由来した彫刻なんでしょうか。結構立派です。
本殿裏のあたりと、境内社のあたりが何となくパワーを感じました。
右側奥には境内社
右から、若宮八幡宮、天満宮、日枝神社、大山祇神社。
左側には枯れた巨木の根
歌碑 何と書いてあるのか読めません^^
絵馬の奉納
境内社「八坂神社」
こちらは門田稲荷の方にあります。特にお賽銭箱も見当たらず。
宝物殿 閉まってました。
神楽殿 新しいです。
御守りはそこそこ種類があります。
門田みたまの萌えキャラ絵馬もありました。1000円也。
御朱印は書置きの方がメインなのですが、
せっかくですので手書きでお願いします!とお願いして書いていただきました。
御朱印
【御祭神】
誉田別尊(ほんだわけのみこと)=応神天皇
大帯姫命(おおたらしひめのみこ)=神功皇后
姫大神(ひめおおかみ)=八幡比売大神
【御由緒】
八幡宮は清和源氏の氏神とされています。下野國一社八幡宮の由来は、源義家(八幡太郎)が奥羽出陣の時この付近に野営し、勝利を祈願して、山城国の石清水八幡宮を勧請したことによると伝えられています。
以降、源姓足利氏、長尾氏、徳川氏によって手厚く保護され、とくに江戸時代には御朱印二十石として、付近の土地領有を許されていました。
現在の社殿は文化11年(1814)に再建されたもので、当時の図面も残されています。
八幡宮境内の様子
下野國一社八幡宮
栃木県足利市八幡町387−4
TEL:0284-71-0292
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