足利出身者による著作本 思想・哲学・宗教に関する本

このページでは足利市出身者による著作本-思想・哲学・宗教に関する本をご紹介します。

最終更新日:2020/11/16
記事作成日:2013/5/9

【東洋哲学に関する本】

【桜井哲夫】

著者紹介:桜井哲夫(サクライテツオ)
1949年足利生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、東京経済大学コミュニケーション学部教授。専攻は近・現代社会史、社会思想史、現代社会論。

一遍と時衆の謎 時宗史を読み解く (平凡社新書) [ 桜井哲夫 ]

内容:遍歴・遊行して賦られた念仏札、広く流行した踊念仏、教団の法名でもある阿弥号をもつたくさんの芸能者たち、敵味方なく戦場を往来し、情報の伝達者ともなる陣僧としての活躍…、日本中世の巨大な存在にしてなお多くの謎を抱える一遍とその教団の全体像を、これまでの研究を総合して明解に描き出す。

第1部 遊行・一遍上人と時衆ーいかなる人々なのか(『大菩薩峠』の「遊行上人」/戦前期における「一遍」と「時宗」-不遇の時代/戦後の「一遍」と「時宗」-再評価の時代/阿弥衆の謎/「世阿弥」と「お国」/網野史学と「時衆」)/第2部 『一遍聖絵』の世界ー遊行・一遍上人の生涯(『一遍聖絵』/出生から再出家まで/旅立ちから熊野まで/遊行の旅へ/時衆の誕生/京都に入る/旅のなかで/入寂の地へ)

一遍 捨聖の思想 (平凡社新書) [ 桜井 哲夫 ]

心」にとらわれているのは「生き死に」に迷う道であり、無心が涅槃の境地である。はからいを放棄するだけではなく、はからいの放棄すら放棄すること。名号が名号を称えているー日本浄土教が行きついた一遍の思想。

第1章 浄土教のルーツを求めて(浄土教の歴史/「阿弥陀仏」の原語と起源 ほか)/第2章 日本における浄土教の展開(日本への仏教伝来/仏教の広がり ほか)/第3章 一遍と時衆(伊予松山の武将・河野通広の次男/十一不二の頌 ほか)/第4章 『一遍上人語録』を読む(『一遍上人語録』の成立/身を観ずれば水の泡ー別願和讃 ほか)

内容:第二次大戦下、息づまる占領とレジスタンスの時代を、サルトル、デリダ、ボーヴォワール、コクトー、カミュなど若き思想家たちがいかに生き抜いたかを鋭く描いた20世紀精神史。


【小野里祐】

小野里祐(オノザトユウ)
昭和5年5月23日栃木県足利市生まれ。本名・小野里祐一。旧栃木県立足利工業学校卒業。川村学園職員を勤める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。

空也念仏

世は無常、夢幻、鉢を叩き、鉦を鳴らし、大慈大悲、他力本願。ひたすら『念仏』専修。捨身入定の悲哀。

こぼれた種

「念仏にまさる善はない」と説いた偉大なる宗教家、親鸞聖人の教えに帰依し、貧困に喘ぐ民衆に一条の光を与えんと心血を注いだ唯円房の生涯を描く。


【矢島想月】

矢島想月(ヤジマソウゲツ)
1941年、栃木県足利市生まれ。工業高校教諭を35歳で辞し、あてのない放浪の旅へ。各地を転々としながら、人情の機微に触れる。7年後に帰郷。定職にはつかず、独学で篆刻や墨彩画の世界に入る。地蔵やカッパなど郷愁を誘う絵に、生きざまから紡ぎ出した言葉を添える画風にたどりついた。現在は日光市内の工房兼住宅で作画に励み、年1回日光市内で個展を行っている。日光観光大使(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

墨散人想月の日光彩発見 [ 矢島想月 ]

内容:下野新聞の好評連載企画「墨散人想月の日光彩発見」が書籍化!

【目次】(「BOOK」データベースより)
春(弥生祭/華蔵院のミズバショウ ほか)/夏(花盛り戦場ヶ原/竹の宵まつり ほか)/秋(小田代原の草紅葉/土呂部の萱ぼっち ほか)/冬(日光山輪王寺七福神詣/ヘビと神橋 ほか)

はがき仏でありがとう、ごめんなさい―描いて楽しいもらってうれしい

いつも守ってくれてありがとう(わが人生-ありがとう、ごめんなさい/やさしい作例と彩色/私の楽しみ-からし菜取り)/しっかり生きる(何とかなるさ)/いっぱいおめでとう(おめでとう/いのち幸せ-愛情は教育、教育は愛情/やさしい作例と描き方(お顔だけ/富士山入り) ほか)/描いて楽しむ(らくらく-自信をもって/喜怒哀楽地蔵を描く/文殊菩薩を描く ほか)。


【西洋哲学に関する本】

【片柳榮一】

片柳榮一(カタヤナギエイイチ)
1944年、栃木県足利市に生まれる。1972年、京都大学大学院博士課程単位取得退学。関西学院大学助教授、神戸大学教授、京都大学文学研究科教授を経て、京都大学名誉教授

アウグスティヌス著作集19/1 詩編注解(3) (19-1) [ アウグスティヌス ]

詩編は救済の出来事の予型

アウグスティヌスの詩編解釈とその講解説教は、文法学者・修辞学者としての彼の個性を色濃く反映しつつ、「旧約聖書のあらゆる記述はキリストの救いの予型(figura)である」とするキリスト教会の聖書解釈の伝統を受け継いでなされた。会衆の理解度や興味に応じて緩急自在に即興的表現も交えて行われた第54 – 75 編の説教を収録(第67、71 編は書き下ろし)。
[第2期第18 回、通算34 回配本]

アウグスティヌスの詩編の解釈と講解説教は、文法学者・修辞学者としての彼の個性を色濃く反映しつつ、「旧約聖書のあらゆる記述はキリストの救いの予型」とするキリスト教会の聖書解釈の伝統を受け継いでなされた。会衆に応じて緩急自在に即興的表現も交えて行われた第54-75編の説教を収録(第67、71編は書き下ろし)。

発売日:2020年03月10日頃




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