日本最古の「足利学校」その1

足利の観光名所ってどこですか?と聞かれれば、

足利市民は「足利学校」と答えることが多いと思いますが、意外にも、中に入って参観したことのある市民は少ないかもしれません。

(児童生徒の課外授業を除いて)

最新情報はお出かけ前に公式twitterでご確認ください。

※2013年と2023年の写真が混在していますが、整理が終わるまでしばらくお待ちください。


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足利学校は、日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は大正10年に国の史跡に指定されています。

足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)関東管領・上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからです。

足利学校は、応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。

江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に幕をおろしましたが、廃校直後から有志による保存運動が展開されるなど、郷土のシンボル、心のよりどころとして足利学校の精神は市民の中に連綿として生き続け、平成2年の復原完成へとつながり、教育の原点、生涯学習の拠点として、新しい学びの心の灯をともしています。

駐車場は、昭和通り(R293)向かいの「太平記館」にあります(無料)。

まだ足利学校を見学したことがないという方は、歩道橋を上ってみてください。

中の様子が良く見えます^^

足利学校2

※ここは観光用の入口ではありません

見学用の入口は昭和通りを西に向かったところにあります。

このあたりは昌平町というのですが、昌平坂学問所(湯島聖堂)に由来しているようです。

この通りは古い趣のある民家が多いです。

こちらが正面玄関。

足利学校4

門には「入徳」の文字。
寛文8年(1668)徳川幕府第4代将軍家綱の時の創建ですが、天保2年(1831)鑁阿寺(ばんなじ)安養院(あんよういん)の火災により焼失、同11年(1840)頃修築、その後明治の中頃に移転修築したと伝えられています。
扁額「入徳」は紀伊徳川家第11代藩主大納言徳川斎順(とくがわなりゆき:1801~1846)の書です。

敷地内の案内マップは公式サイトにあります

 

足利学校5

門をくぐると

足利学校15

右側に受付があります。ビデオの上映会もやっています。

足利学校6

参観案内

受付時間 4月~9月 9:00~16:30

10月~3月 9:00~16:00

休日 第3月曜日(祝日、振り替休日のときは翌日)

年末年始(12/29~1/3)

その他 管理上やむを得ない場合

拝観料:大人420円

拝観料を払うと、こんなチケットをもらえます。

「足利学校 入学証」

記念にスタンプも押せます。

足利学校16

「史跡足利学校跡復原の碑」

史跡の復原は市民の願いであり、夢であった。指定地の東部分はかつて東小学校となっていたが、関係者の理解を得て移転した。

これを機に整備構想を策定し、発掘調査や文献資料の調査検討を進め、江戸中期宝暦年間の姿に復原工事設計をまとめることができた。

事業の推進には文化庁を始め、多くの関係機関の協力を得、方丈等建物7棟、庭園二箇所、土塁堀などの復原を主とした東部分の整備事業は十年の歳月を要しここに完成した。~案内板より

 

東小学校は、昭和通りの南角が校門で、

庭園のあたりが校庭、現在の方丈のあたりに校舎、

昭和通りのお堀のあたりに1階が体育館と給食センター、

2階に図書館があったような気がします。

掃除の時間は、足利学校の庭を掃いたりしていました。

大きな井戸と歴代校長のお墓があったのは記憶してます。

在校中に田中橋の方に移転してしまいましたが^^

 

それでは、順路を歩いていきましょう。

左手には「孔子の像」

これは、中国から寄贈されたようです。

足利学校10

足利学校11

神社という訳ではないですが、両側には狛犬がいます。

足利学校にとって、孔子は学問の神様ですからね^^

足利学校13

「至聖先師孔子」の石碑

石碑の字は判読不能でした。

 

孔子の石造の隣には、「正一位稲荷神社」があります。

詳しくは、「その2」で。

解説を聞きながら散策したい方はボランティアの観光案内のスタッフが待機しています・・・が、GWは大人気で出払っていました。

三門の2つ目、學校門。この時は梅の花が咲いていました。

足利学校18

こんな風に、スポットに案内板があります。

受付にクイズ用紙が置いてあるので、小学生の課外授業向けなのか、案内板にはそのヒントが書かれているようです(2023年にはなかったかもしれません)。

足利学校19

湯島聖堂楷樹

足利学校20

顔振鴻氏手植 昭和47年

孔子の末裔の方です。

足利学校22

この木は?宇降松質問箱です。

宇降松(かなふりまつ)

学生が読めない文字に出会うと紙に書いてこれを松に付けておくと、

当時の校長がそれを見てふりがなや注釈をつけてくれたので、

宇降松と呼ばれ、町の人にまで浸透し、松に教えを乞うようになったとか。

「虎谷」という足利の老舗和菓子屋にも「宇降松」というお菓子があります。

⇒参考記事 「虎谷 閉店」

足利学校25

皇太子殿下行啓記念 明治43年

大正天皇でしょうか。

足利学校28

孔子第71代傍系孫 孔昭潤氏手植 昭和10年。

孔子の末裔の方が何人も訪問されているのですね。

足利学校31

とちぎ名木百選「ナンバンハゼ(楷樹)」(栃木県天然記念物)

大正4年(1915)に、孔子のお墓がある孔林(中国山東省曲阜)から、初めて日本に種子がもたらされました。成長した株は、多久聖廟(佐賀県)、湯島聖堂(東京都)など、儒学のゆかりの地に植えられました。

こちらは旧足利学校遺跡図書館です。

1980年に栃木県立図書館(現在は市立図書館)ができるまで、足利で唯一の公共図書館でした。

現在は、儒学の専門書、郷土資料等を扱う専門図書館となっています。

貴重な宋版(南宋時代の刊本)や室町時代の写本を多く含み、4点77冊が国宝、8点98冊が重要文化財に指定されている。貴重書はマイクロフィルム化されていて、閲覧及び複写も可能であり、一般の古書も事前に許可を得れば閲覧することができる。古書の目録は長澤規矩也の編により、『足利学校遺蹟図書館古書分類目録』として公刊されている。~wikiより

足利学校32

この時は、「中村元 足利学校庠主(しょうしゅ―校長)の足跡 生誕100年記念」

という展示をやっていました。

2023年は大河ドラマ「どうする家康」とのコラボと言うべきか、足利学校と徳川家の展示をやっていました。

老若男女でにぎわっていました。

図書館の国は竹林、古井戸、土蔵。昔は奥に墓石もあったと思います。ある時、雷で奥にある気が真っ二つに割れたこともあったような。

三門の3つ目、杏壇門です。

寛文8年(1668)創建ですが、明治25年(1892)学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建したものです。柱等に、この時の焼けた跡が残っています。

足利学校37

扁額「杏壇」は紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝(とくがわはるとみ:1771~1852)の書です。

門をくぐると

孔子の廟があります。

 

この隣に校舎のあった東小学校の校歌にも出てきます。

「緑の 木陰~ うる~わ~しき~ 孔子の廟のある~と~ころ~♪

教えの泉 湧き出でて 湧き出でて~♪

我が学び舎は うま~れ~たり~♪」

中高の校歌は全く思い出せませんが、小学校の校歌は1番だけ覚えてます^^

 

孔子の廟の前に、ここにもたくさんの木が植えられているのでご紹介します。

足利学校41

月桂樹 海軍中将 上村彦之丞手植 明治39年

足利学校42

月桂樹 元帥 海軍大将 伊東祐享手植 明治39年

なぜに海軍の軍人が?と思いましたが・・・

足利学校43

西階の不断梅

足利学校44

最後は、月桂樹 海軍大将 東郷平八郎手植 明治39年

日露戦争後に英雄お三方揃って植えられたそうで、何気に凄いですね^^

 

孔子廟に戻ります

足利学校39

足利学校47

聖廟とも呼ばれ孔子を祀ってある廟です。建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668)足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営されたものです。
「大成殿」の様式は中国明代の古廟を模したものと伝えられています。
間口12.7m 奥行10.9m 建坪138.6平方メートル(42坪)
「入徳門」「學校門」「杏壇門」「孔子廟」は国の史跡指定に含まれています。
扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王(ありすがわのみやおりひとしんのう)の王子で、のちに京都知恩院門跡となった尊超法親王(そんちょうほっしんのう:1802~1852)の書です。

廟の中央にある「孔子坐像」(県指定文化財)

室町時代 天文4年(1535) 寄木造 玉眼嵌入 像高78cm

頭巾をかぶり、儒服を着けた像です。弟子たちの教育にあたるこの姿は、「行教像」といわれます。像の背中と底の内側の部分に墨書きの文字があり、当時の足利荘の代官・長尾憲長(1503-1550)など造像に関わった人の名や、当時の学校の様子が記されています。

日本最古の孔子の彫像として、また、足利学校を語る資料としてもたいへん貴重です。

「文化財保護のため、孔子坐像は複製を展示しております。」

足利学校49

右にある「小野篁公(おののたかむらこう)像」

江戸時代 延享3年(1746) 寄木造 玉眼嵌入 像高71.5cm

小野篁(802-852)は、平安時代の公家・歌人で学問にすぐれ、野相公とよばれた人です。

足利学校では江戸時代に、小野篁を創建者とする説がとなえられていました。本像の制作にあたり、小野篁の子孫という江戸幕府の儒官人見活(号雪江 1687-1759)が、お金を学校に寄付したことが『足利学校記録』(延享3年1746年8月19日条)に記されています。

 

孔子の廟は以上です。

杏壇門を出て方丈・庭園へ向かいますが、

その前に「正一位稲荷神社」」のご紹介です。

 

 

史跡 足利学校
栃木県足利市昌平町2338
TEL:0284-41-2655 ‎ ‎
JR両毛線足利駅から徒歩10分、東武伊勢崎線足利市駅から徒歩20分

受付時間 4月~9月 9:00~16:30
10月~3月 9:00~16:00
休日 第3月曜日(祝日、振り替休日のときは翌日)
年末年始(12/29~1/3)
その他 管理上やむを得ない場合

拝観料:大人420円


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